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zoom RSS 怒濤のにわかミニカー道2 憧れのヒーロー「生沢徹」

<<   作成日時 : 2006/08/09 20:10   >>

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   京商 1/64 「#8 ポルシェ 906(カレラ6)」 1967年第4回日本GP優勝車 生沢徹仕様

第2回日本GPにスカイラインで起こした奇跡(笑)により、一躍時代のヒーローと化した生沢徹(以下 テツ)
彼は翌年の第3回日本GPに「ポルシェ 904 GTS」のエンジンだけ直6に変えた劣化コピーのような「プリンス R380」で出場、チーム・オーダーで他チームの優勝候補を押さえに廻る汚れ役を忠実にこなすとヨーロッパへ旅立ちました。
本気でF1を目指した日本人レーサー第一号は、間違いなくテツです。
しかし、プライベーターとして武者修行するテツを支えるスポンサー企業の殆んどが日本企業であり、広告塔としてのテツ最大の価値は、やはり国内最高峰レースでの露出にありました。

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ワークス・チームを離れたとは言え、当然、日本GPには日産(旧プリンス)チームから出場するつもりで帰国したテツは冷たくあしらわれる・・・日産とプリンスの合併により、ワークスチームのドライバーは既に過剰だったのです。
しかし、F1を目指すテツはヨーロッパでレースを続ける為のスポンサーにアピールしなければならず、当時最強のプライベート・チーム「滝レーシング・チーム」のオファーを受け「カレラ6 (ポルシェ 906)」のステアリングを握る事になります。
今度はテツが日産へリベンジです。

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   京商 1/64 「#8 ポルシェ 906(カレラ6)」 1967年第4回日本GP優勝車 生沢徹仕様
   「VAN ヂャケット」「レーシングメイト」「ペプシ」のステッカーが懐かしい!
   ステッカーだけでなく、ホイールやチンスポイラーなどの再現も素晴らしいです

メインレース「GP-U」クラスで、テツは見事日本GP初優勝を飾ります。
2位には高橋国光「ニッサン R380-U」、3、4位も「ニッサン R380-U」が入賞。
日本を代表するレースでワークスチームがプライベーターに負けた、記念すべき日が「1967年5月3日」でした。

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話は少々遡って1965年7月18日、今は無き「船橋サーキット」で行われた「CCC(カー・クラブ・チャンピオンシップ)レース」でテツが絡み、今も日本のレース史に残る伝説が生まれました。
もっとも、この時の主役は「トヨタ スポーツ800(以下 ヨタハチ)」を操る天才レーサー 故 浮谷東次郎(以下 東次郎)
ちなみにテツと東次郎は親友でした。

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   京商 1/64 「#20 トヨタ スポーツ800 レーシング」 CCCレース優勝車 浮谷東次郎仕様
   ・・・いずれブリスター破って撮影し直す必要アリな画像ですいません m( _ _ )m

スタートから5周目、レース直前まで降り続いた雨で濡れた路面がドラマの第一幕を開けた。
テツの「ホンダ S600(以下 エスロク)」の後ろで追い抜きのタイミングを狙っていた東次郎の ヨタハチがテツのスピンに巻き込まれ、ピットインしてダメージの応急処置を施しますが、ヨタハチがコース復帰した時、既に順位は16位まで下がる絶望的状況でした。
しかし、ここからが第二幕、本格的伝説の始まりです。
ドライに変わる路面でヨタハチの軽量が有利に働き、東次郎は自在なコーナーリングで猛然と前車を追い抜きます。
それは、まさにごぼう抜き。

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20周目、トップを走るテツのバックミラーに信じられない光景が映ります。
それは、鬼気迫る形相の東次郎操る、消えたはずのヨタハチの姿。
24周目、力尽きたテツはトップを譲り、東次郎が大逆転勝利でチェッカーを受けました。

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   コナミ 1/64 「ホンダ S600」
   テツの「レーシングS600」バージョンはモデル化されていないのでノーマルを掲載
   しかし酷いな、まともに映っとらん・・・。

S600ではありませんが、テツも「S800」で快挙を成し遂げています。
それは1967年の「ニュルブルクリンク500qレース」でクラス優勝。総合でも堂々11位に食い込む大健闘でした。
ヨーロッパに持ち込んだ、ナショナルカラーに塗られた小さな「ホンダ S800」とテツ。
ここで余談をひとつ。
おそらく、ヨーロッパの国際格式レースで表彰台中央に初めて日本人が上がる事を予想した主催者側スタッフは誰一人居なかったようで、なんと「日の丸」と「君が代」のレコード(当時)を用意しておらず、仕方なくエスロクのサポートをした「ホンダU.K.(イギリス・ホンダ)」のユニオンジャックを掲揚、イギリス国歌を架けたそうです。
それはともかく、私にとって、テツのシンボル「丹頂鶴カラー」ヘルメットは永遠の憧れです

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以後のテツの活躍と挫折も書きたいのですが、相応しいミニカーがないので(変な理由!)、今はここまでとします。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
TBありがとうございました。
しかし、この辺りの知識、凄くお持ちですね。
大変勉強になります。
私も日本GPのモデルは好きで結構集めてるんですよ。
そのうちにでも記事にします。
T2
2006/08/10 00:13
こんばんは、T2さん。
ようこそおいで頂き、こちらこそ恐縮です。
T2さんの素晴らしいコレクションと美しい画像の数々、いつも楽しみに拝見しております。
是非、往年の日本GPコレクション公開をお待ちしております。
moonwalker
2006/08/10 01:12
始めてやってきました。1967年の日本GPは現場で見ました。始めてのレース観戦でした。当時の生沢徹の人気はすごいものでしたね。海外挑戦だけでなく彼のライフスタイル/言動にあこがれる人たちが多かったです。
lotus49ford
2006/09/09 08:10

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