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zoom RSS F1 1991「Tyrrell 020/Honda #3 日本GP」Spark 1/43

<<   作成日時 : 2010/04/25 04:31   >>

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日本人F1パイロットの草分け、中嶋悟が“最後の日本GP”で搭乗したマシン・モデル。
昨年、F1関連グッズ・ショップ「Racing Gear(RG)」が特注したスパーク/ミニマックス製700台限定モデルは、予約受注開始直後に完売した入手困難な商品を、少し前に縁あって、大阪の某有名ショップが放出したのを奇跡的にゲットした逸品です。

ケース&台座は通常スパーク製品を流用。黒いスリーブ・ケースが新鮮な印象を受けます。

一目でRG特注と分かるロゴやマーク類の演出が無く、“スペシャル感”欠くのが惜しい (-_-;)




メイン・スポンサーにブラウンが就き、前年チャンピオンの最強エンジン「ホンダ V10」を獲得して前途洋々に見えたティレル・チームは、結局、マシンバランスに苦しみ続けたまま1991年シーズンを終えました。
バブル終末の残り香?日本企業のスポンサー残滓「CALBEE(カルビー)」ロゴが虚しい・・・今、何故1社でも多く小林可夢偉にスポンサードしない?!

ドライバー・フィギュアの出来がミニチャンプス/PMA製F1モデルに劣る点を除き、実車特徴を上手く表現した造形だと思います。
巨大と呼べるほど延長されたエンジンカウル部の「BRAUN」文字、その他スポンサー・デカールが綺麗に貼られ、メタリック塗装も美しい出来栄え。
「019」に比べ、濃色塗装のせいか、“軒下の雨樋”のようなボーテックジェネレーター引き摺る“コルセア・ウィング”をシャープに錯覚(?)、成型肉厚に対する不満は、偶発ながら納得出来るレベルに解消されてます。

実際にスパーク製ティレル2台購入しての考察。
皆さん、オールドF1については、ミニチャンプス以上のクオリティが期待出来ますよ (^^ゞ


左、「Tyrrell 019 #3 1990 日本GP」。右、「Tyrrell 020 #3 1991 日本GP」。
どちらもスパーク/ミニマックス製、1/43モデル。

「020」のドライバー・フィギュア、私は“要らない派”です。
前方からのショットなので、インダクション・ポッドのボリュームの差が分かりづらい、かな?でも、その違いは明白。

フロント・ウィング幅に要注目して、次項お読み下さい。


総帥ケン・ティレルを筆頭とするチーム首脳、そして周囲の期待も大きかった「020」は、結果的に失敗作だったでしょう。
長い間、軽量コンパクトかつアンダー・パワーなV8エンジン搭載に慣れたティレル・チームにとって、大きく重い「ホンダ RA101E」3.5L・V10は、想像以上に扱いづらい存在だったと思います。
基本、V8搭載の「019」シャーシにホンダ・V10をマッチングした「020」は、只でさえテール・ヘヴィー傾向が増大する筈なのに、レギュレーション変更により、フロント・ウィング幅が100mm狭められたのです。つまり、ウィングが小型化されることによりダウンフォース減少、アンダー・ステアは悪化の一途を辿りました。
さらに悪い事に、増大したパワーを伝達するギアボックス&デファレンシャルが容量不足を露呈、ホンダ・パワーに耐え切れず壊れました。
不調の原因は、エンジン・パワーに見合うシャーシ性能が不足していたからです。

一方、ドライバー側にも要因はありました。
ジャン・アレジ“フェラーリ栄転”の後任ドライバー、ステファノ・モデナはカナダGPで2位入賞を果たすものの、15戦(Rd.1アメリカGP決勝未出場)中7戦でリタイヤするマシンの信頼性不足が祟り、年間ランキング8位がやっとの成績。
中嶋に至って事態は遥かに深刻で、「Rd.4 モナコGP」時点で1991年限りの引退決意していたそうですから、レースに対するモチベーション云々以前の問題でした。
加えて、中嶋のマシンも遠慮なく壊れ、16戦中9戦リタイヤ・・・その内の1戦に“最後の日本GP”が含まれます。
以下、引退理由について、中嶋が雑誌インタヴューで語った言葉です。

90年シーズンに、小さなハンドルでもいとわないというアレジの言葉を聞き、すでに彼らの時代なのかなと思っていた。
僕はもう、キックバックするハンドルを押さえて縁石を乗り越えることが苦しかった。

(中略)
いいところを地元ファンに見せられなかったという意味では、僕らしいと思った。

ちょっとばかり、オジサンの涙腺を刺激するコメント (T_T)



1991年日本GPは、そう、ワールド・チャンピオンを決めたマクラーレンMP4/6を操るアイルトン・セナが、ゴール直前最終コーナーで減速して、僚友ゲルハルト・ベルガーに勝利を譲った、あの記憶に残るレースでした。

ホンダは、中嶋悟“最後の日本GP”用として、スペシャル・エンジン「RA101E/SN」を用意しました。
末尾の「SN」は、もちろん「Satoru Nakajima」のイニシャルに相応しく、特別に組み立てられた証しです。
ティレル・チームも極東の島国まで5台のシャーシを運び、中嶋自ら選んだマシンはあえなくステアリングが壊れ、“いいところ”無くリタイヤしました。

本当の意味で“ホンダ・スピリット”が生きていた、最後の時代を思い出させるモデルカー。

Tyrrell 020/Honda RA101E SN
#3 Satoru Nakajima
1991 Japan GP
1/43 Racing Gear/Spark Model RG002






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
moonwalkerさん こんにちは。
待ってました、TYRRELL続編(^o^)
僕はこの当時のF1の方が、今の時代よりカッコ良いと思うのですがいかがでしょう。
この「BRAUN TYRRELL」、モデルもカッコ良いですが、箱が秀逸ですね!!
黒字にオレンジ文字。んっ?ジャイアンツっぽい。。。
前もありましたが、「箱」って大事ですよねー(^o^)
kenken
URL
2010/04/25 12:53
こんばんは、kenkenさん。
独身生活で羽根伸ばしてますか?(^_^;)

私もこの時代のF1マシンの方が好きです。
と言うか、1970年代から1990年代半ばくらいまでのF1が、かなり広めのストライクゾーンです。

>箱が秀逸ですね!!
センスはともかく、ちょっと寂しい気もします (^^ゞ
moonwalker
2010/04/25 22:44

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